カテゴリー;JUVÉNILE Messieurs moins de 14 ans
(ジュブナイル/ジュベニール 男子14歳以下)
このカテゴリーはフリープログラムのみ2分30秒(±10秒)
2024-2025シーズン(大会)が終了しました。
今年もカナダ、日本など様々な場所から応援して支えてくださり本当にありがとうございました!!
みなさんのおかげで、いろいろありながらも怪我なく、辞めたいと思うこともなく素晴らしいシーズンを過ごすことができました。まずは、心より御礼申し上げます!!
今シーズンは波乱!!
コーチとの別れ
まず、なんと言っても今シーズン最大の衝撃は、3年ともに歩んだコーチの急逝だ。9月初戦三日前に病気を告知され、旅立ってしまったのは11月。3ヶ月というあまりに短く辛い時間だった。
最後にアリーナでレッスンを受けたのは10月半ば。これが私たちが会った最後の日となった。
コーチとの出会いは、私がネットで探しコンタクトを取ったことで始まった。最初は超不順な動機だった。彼女のキャリア云々…などではなく、HPの情報を見て「日本人ぽい名前だな。日本語が通じそう」だった。そう、私は英語がさっぱりできない上に、スケートに関してもド素人。完全に自分本位で探していた。
しかし、動機はどうであれ、メールを送ってみると迅速かつ非常に丁寧で好印象の返事がきた。ああ、もう絶対にこの人だ!と確信してすぐに息子のコーチをお願いした。
そして、実際にカナダでレッスンをスタートし、競技者への道へと誘ってくださった。
これは2022年8月のこと。
非常に大切なことを本当にたくさん教えてくださった。
彼女と出会ったおかげで今の息子がある。間違いなく、息子の人生の超重要人物であり、それは一生変わらないし、忘れることは絶対にない。
今でも残念で悔しくて、でもどこかで生きているんじゃないか?と思ってしまうのだが、彼女に一生お礼を言い続けたい。
しかし、息子は生まれて初めて大切で身近な人の死を経験してしまった。
ただ、ここから得たものも非常に絶大で絶対に無駄にできない経験である。
心身ボロボロ…
しかし…
やはり、心身がボロボロであることは隠せなかった。
心から来る不調が、体調にも精神にも生活にも、あちこちに出た。
それを隠すかのように、耐えるかのように、必死に練習し、生活し、気にしないように努めていた。
それとは裏腹に、練習も試合も生活も上手くいかないことが多かった。
しかし、息子も私もこれは乗り越えるべき、乗り越えられる試練であるとわかっていた。だから、私たちは仕方がないことだと素直に受け留め、今自分にできることを毎日淡々とこなし、時が傷みを少しでも緩和してくれることをじっと待つだけだった。
今シーズンの試合の結果は…
全5大会
1位が2回、2位が2回、4位が1回

では、リザルトを初戦(上段)4位と最終戦(下段)2位で比較してみる。


エレメンツと呼ばれる技術点がまず伸びた。
初戦(9月)の時は、まだ安定して跳べるダブルジャンプが2S〈2回転サルコウ〉だけ。(2Fも降りてるけどたまたま)ダブル+ダブルのコンビネーションジャンプなんて全くできないどころか練習すらしていなかった。(そんな技量がなかった)
最終戦(3月)では最初のエレメンツが何かおかしな形になって2F〈2回転フリップ〉+1Lo〈1回転ループ〉(しかもダウングレード)となっているが、練習では7割くらい2F+2Loが成功している。試合で発揮できないのは、まだ体が完全に覚えていない証拠。このダブルジャンプのコンビネーションを練習し始めたのは2025年1月からなので、試合前に2ヶ月しか練習できていない。やはり、習得には時間がかかる。
しかし、現在では約半年ほどの間にアクセル以外のダブルジャンプを全て降りれるようになった。これは基礎練習ととにかく何度も何度もやった成果である。
試合でできるかどうかは、また別の問題なので、これから経験で強くなっていくしかないと思う。
しかし、両方の大会でエレメンツで0点を喰らってしまっている。初戦のは正直、息子のせいではない。ステップシークエンスで振り付けがジャッジ規定より狭い範囲での動きとなってしまったため、ノーカウント(ちなみに、試合後にジャッジからステップはとても良かったと褒められた)となったが、これはコーチのミスである。最終戦は完全に息子のミスで、シットスピンで座っている角度が甘かったらしい。これは回避できたミスなので、反省。
それから、【F】は転倒を表しているのだが、最終戦では2回も転倒している。息子によれば、アリーナが非常に滑りにくかったとのことで、実際、上手で普段転倒していない上のカテゴリーの子たち、一緒に戦った子たちもかなりの割合で転倒している。そのせいかどうかは定かではないが、いずれにしても、大会での転倒はなくしていかねばならない。
リザルト下段には、演技構成点が記載されていて、ここはよく伸びたと思う。
プレゼンテーションは2点台がなくなり、4点台もある。スケーティングスキルも1点台が消え、2点台も1つしかない。息子は、初戦こそこの点が全体の2位だったものの、他の大会は全て1位だった。ここは大きく成長した点だと思う。
また、転倒や0点を喰らっても上位に行けるのは、この演技構成点が高いおかげでもある。エレメンツばかりに特化した練習をしている人は、ここが取れないので苦しむことになる。とはいえ、息子はエレメンツでもちゃんと取れるようにしていかなければこの先は勝てなくなってくる。やはり、どちらも必須要素だ。
世界クラスのトップスケーターたちは、どちらの点も非常に高い。どちらが欠けても上にはいけない仕組みになっていて面白い。
近年では、4回転をバンバンとぶ時代になり、幼少期からジャンプに力を入れがちなのだが、幼少期こそストローキングと呼ばれるスケートを滑る技術の習得に力を入れたほうがいいと感じている。それは、やはり高度なジャンプをとぶためには筋力が必要で、幼少期にそこに頼るのは難儀だと思うからだ。つまり、せっかく覚えても身体が変われば身体の使い方が幼少期とは異なるし、体幹や筋力は徐々に身体の成長とともにつくもので、焦ってもいい結果は得られないと感じる。ただ、【恐怖感】という点においてはいろんな意味で恐怖を感じにくい低年齢の時からジャンプを取り入れていたほうがいい、という見解にも頷ける。バランスが難しいな、というところだ。
個人的には、すごいジャンパーがいることで、本来のスケートの持つ芸術性が一つに偏りつつあることはちょっと残念に思う。すごいジャンパー、すごいステッパー、すごいスピナー、すごいエンターテイナー、いろいろあっていいと思うが、華やかなところだけに目が行きがちになってしまう。まぁ、しかたないことではあるかな…とも思うが。。。
話が逸れてしまったけど、1シーズンの間にいろんな面において成長した重要なシーズンだった。
初めてのショー招待とボランティアに選出
カナダに来て、2年目に彼は強化選手に選出された。今シーズンの3年目も選ばれた。先にも言った通り、人数の少ない男子というだけで覚えられやすいが、純日本人はいないので(現役コンペティティブはケベックには彼しかいないはず)さらに覚えてもらいやすい。しかも、亡くなったコーチも純日本人であり、特殊を極めている。大会に行くと、彼のことをいろんな人が知っていて声をかけてくれる。非常にありがたいし嬉しい。
12月初旬、初めて他のクラブのショーに招待され、多くの人の前でプログラムを披露させていただく機会を持てた。これはとても名誉なことで、誰でも選ばれるわけではない。息子は非常にショーが好きな上に、盛り上がる曲をプログラムとしていたため、招待のタイミングはバッチリだった。ショーに出演後、多くの方やスケーターにも声をかけていただき、とても良い体験になった。
また、初めてのボランティアにも選出してもらい、1月に行われた全カナダ選手権大会(シニア&ジュニア)のフラワーレトリバー(リンクに投げ込まれたプレゼントを拾う係)になり、間近で演技を見させてもらったり、先輩や同年代の子たちと関わらせてもらい、これまたとても貴重な体験になった。
フラワーレトリバーに選んでもらえるのは、実はかなり貴重だ。なぜなら、選出年齢がごく限られており、該当する年齢時にその年齢においての高スキル所持者か好成績者が優先される。また、全カナ選手権は毎年開催される州が変わり、地元民が優先されるため、かなり狭き門なのである。彼はとてもラッキーであった。
初めて経験させてもらえることが多く、スケーターとしての視野が広がったシーズンであった。ボランティアをしたことで、大会にはかなり多くの人の力があって成り立っていることを実感できて、演技者だけではなくみんなで一つの大会を作り上げているんだという連帯感や感謝が生まれた。これからの彼のスケート人生にいい影響を与えてくれたことだろう。
様々な問題
メインコーチ変更とクラブ移籍問題
しかし、いい経験とは裏腹に、いろいろな問題もあった。
コーチが全くレッスンができなくなったのは10月半ば。そこから2024年いっぱいまでは、なんとか週に2、3回同門の若いお姉さんコーチにジャンプやスピンを見てもらっていた。あとは自主練。12月、肺炎明けで迎えた一番大きな試合はかろうじて2位だったものの、これで良いわけはなかった。
元々、息子のクラブはレク的要素の強いクラブで、ここ最近では息子しかコンペティティブに出場しているスケーターはいなかった。コーチにしても、息子のコーチ以外は週に数日しか来ないか、コーチとしてのレベルがまだ高くなく(資格的に)州大会以上に同行ができない。限界が見えている状態だった。
私たちはすぐに移籍を考えた。冷たいと思うかもしれないが、これが正しい判断であることには自信があった。コーチがいなくなった今、彼女の代わりになれる人はおらず、ただその場所に執着する事は違うとわかっていた。
が、ここからが問題だった。
メインコーチを誰にお願いするか…
有難いことに、息子のコーチは人脈も人望もあり、カナダに来た当初から息子をいろんなクラブに連れて行ってくれたり、いろんな人に紹介してくれたりしていた。おかげで、息子はケベックではまぁまぁ知られた存在だった。(純日本人の男子が彼しかいないのでそのおかげもかなりある)
つまり、幸か不幸か選択肢がたくさんあった。
それから、州外へ行くこともよぎった。
しかし、州外はすぐに除外となった。これは、息子が他州を望まなかったからだ。この地で、ケベックでやっていきたいと言った。いたいところにいよう、それが一番だと思った。
最初は、強豪クラブがよぎった。ケベックといえばここ!というクラブが2つある。幸運なことに、どちらのクラブにも行ったことがある。が、息子にはしっくり来なかった。
最終的に、亡くなったコーチが試合に帯同できないとわかった時に代わりに帯同してくれたコーチに、二度目の試合帯同をしてもらった際「なぜうちに来ないのか?いつでも歓迎するし待ってるのに」と何度も何度も言ってもらった。また、この二度目はたまたま二人のコーチが来てくれて、一人はハーネスのコーチで彼との相性が息子と抜群だった。この二人の元へ行くことを決めた。
新しいコーチの決め手は【息子との相性】だ。
強豪クラブももちろん非常に良い点がある。うまい子がたくさんいるので、彼らの背中を追いかけ目と体で学ぶことができる。
しかし、強豪クラブ所属の子が必ずしも全員上位とは限らない。この違いは何か?私は持論ながら【相性】だと思っている。みんなうまくなりたいのは同じ、コーチも環境も同じ。違うのは、その環境やコーチとの相性の問題だと思う。そして、もちろん名コーチには良さはあるが、最終的にはコーチの指導力以上に本人の問題だ。コーチの指導力がずば抜けていても本人次第で結果は異なる。だから、私と息子は毎日毎日話し合い、最終的には【快適だな】【心地が良いな】と思える環境と人に囲まれてやる、これが最善だと判断した。
さて。
2025年1月からスポーツエチュートというプログラムに参加させてもらえることになり、月曜から金曜まではそこで、土曜日はオフ(身体休めの日)、日曜日はクラブの練習に参加するという練習スタイルに変わった。
けれど、シーズン途中でのクラブ変更は原則できない。奇妙だが、所属を残しつつ練習拠点とコーチを変更した。しかし、新しいシーズンが登録上スタートする際には、完全にクラブごと移籍する予定だ。
来シーズンは上のカテゴリーへ。しかし、永住権と市民権がない!問題
試合が終了して一応オフシーズンとなった今も、次のシーズンに向けて準備が進んでいる。休みにはならず、今まで通り練習はずっとある。
フィギュアスケートのシーズンは、7月始まりの6月終わりだと私は考えている。それは、スケート年齢というものがあり、7月1日起算で年齢制限を考える必要があるからだ。息子は7月生まれで、7月1日時点の年齢となるため、実はちょっと得である。2年前に出場していたプレ・ジュブナイルというカテゴリーは11歳以下となっているが、2025年7月1日彼はまだ11歳(数日後に12歳になる)なので、このカテゴリーにまだ出場が可能なのである。(出場しないが)
新しいコーチが、来シーズンは今シーズンのカテゴリーをもう一つ上げて闘えると判断。プレ・ノービスというカテゴリーにステップアップだ。このカテゴリーからは、ショートプログラムとフリースケーティングの2つのプログラムが必要となる。(試合によってはフリーしか行わないものもある)州の代表が集い全国大会が開催されるカテゴリーでもある。息子はワクワクが止まらない!といった状況だ。
しかし!
ここで問題が生じた。
このカテゴリーから外国籍の選手に関しては、【市民権を取る意思があり、カナダを代表国とする選手】としての登録が必須なのだ。し、市民権?私たちは永住権すら持っていない。ステータスは、ただの留学生(学生ビザ)。
早速、スケートカナダ(カナダスケート連盟)に連絡した。プレ・ノービスに出たいが、永住権すら持っていない留学生だ(2025年夏で在カナダ4年目に入る)が、登録は叶わないのかを問い合わせた。おそらく、こんなケースは稀だ。ほとんどの場合、親が移民で永住権を持っているか、カナダで生まれているか、二重国籍を持っているかにあたる。純日本人で今のところ永住権すら持っていない、すぐに取得できる見込みもないケースはレアだ。(というか、普通はふらっとカナダにやってきてそこで火がついちゃうケース自体稀だと思う)
ダメなら、出られる形でスケートを続けるしかないなぁと覚悟していた。が、【永住権を取得し、市民権を取得し、カナダを代表国とする意思があるか】と聞かれたので【はい】と答えると【では、それらを宣誓する書類に署名すれば良い】と言われ、スケートカナダがまず日本スケート連盟に対し、リリースレターを出してくれた。そして、日本側も快諾し(っていうか、誰?どうーぞどーぞって感じだと思う)めでたく?日本からリリースされた。
今後は彼は日本代表になることはできない。日本では、全国大会以上につながるような大きな大会にも出られない。(出るつもりは全くないのだが)
もし日本代表に突如なりたくなったら、カナダからまたリリースしてもらう必要があり、且つ二年間はどこの国の代表にもなれない。
今後は実質、カナダ代表としてやるしか道はない。(2年も試合に出ないわけにはいかないし…)
しかし!その前に永住権や市民権にも挑戦しなければならず、なんだか道はストレートに簡単にはいかなさそうだ。(スケートの成績、学業の成績、英語とフランス語、私の収入や仕事などなどやること満載!)
ただ、それでもやりたいことをまっすぐ、余計なことを考えずに進めばなるようになる、と思う。
まとめ
いいことも悪いことも一度にたくさん経験したビッグシーズンでした。しかし、一番大事なことは、自分がやりたいことをひたすらやる、それだけだなと学んだ一年でした。息子は才能も、運動神経も誇れるほどのものはないし、親が(私)めちゃくちゃ精通しているわけでもないし、ましてや色々ハンデもあります。しかし、それは私たちが自ら選んでいることであり、誰のせいでも、何のせいでもありません。
また、息子を見ていると、何かにずば抜けた人になる・夢を叶えられる人は、【才能や運動神経など生まれ持ったものがある人ではない】と感じます。今の息子を見て「すごいね、才能があるんだねー」などと言ってくれる人がいますが、それは違います。才能やセンスはあったに越したことはありませんが、息子の場合、ただひたすら【やっている】というだけです。これは、努力とも違います。私や本人の感覚からすれば、逆に才能があるのならもっと素早くできるようになるだろうに…と苦笑いしてしまいます。(例えば、多くの人が練習を始めてから1年前後で習得するであろうジャンプに、息子は3年もかかっています)
このブログを読んでくださっているかたに心底お伝えしたいメッセージは、我が家の息子自慢ではなく、【夢を叶えるのはひたすらにやる!】ということだけです。それ以外にはありません。
才能もセンスも年齢も関係ありません。大概のことはやればできます。ですが、ほとんどの人が【やる】ができません。やらなくて済むようにどんどん理由づけして【やる】を回避する。この差だけです。本来は【やる】だけなので、誰でもできます。
そういう意味では、息子よりも【やる】が徹底されている人はまだまだたくさんいます。ですので、息子もまだまだできることがたくさんあります。それは、単純に練習量を増やすというようなことではなく(いうまでもなく練習は大事です)、いかにスケートと向き合った生活ができるか、息抜きをどう上手くしていくか、いかに必要のないことを手放すかということです。
これからもスケートを通して、母子ともにいろいろなことをお伝えできればと思っています。
どうぞ、来シーズン2025−2026シーズンも、今後ともよろしくお願いいたします!!!
そして、これをお読みくださったかたの人生が最高のものになることを願って!