息子は発達障害?不登校、勉強嫌い解消の要因とは?

育児

2024年8月現在の様子

オリンピックを目指すアスリート

息子は現在11歳で、フィギュアスケートをやっています。彼の目標は【まずはオリンピックで金メダルを獲ること】です。
なぜ、まずは、などと言うかというと、実はそこが彼の最もなりたい姿ではないからです。

彼の純粋な夢は【一流のショースケーターになること】で、競技という世界ではなく、できる限り自由なスタイルでスケートをしてお客様に楽しんでもらいたい、というものです。その夢を叶えるためには、どうやらオリンピックでのタイトルを獲るのが良さそうだ、という考えのようです。

もちろん、オリンピックが簡単なものだとは思っていませんし、競技の世界が好きじゃないのに嫌々やっているというわけではありません。嫌々やり続けられるほどのパワーは備わっていません(笑)

普段の生活スタイル

通常は小学校に通っています。カナダでは、学校によって就業時間が少し異なりますが、だいたい8時〜9時開始で15時〜16時終了のところが多い印象です。息子の学校もその範囲に含まれています。(これに該当しない学校もあります)

私が車で迎えに行き、そのままアイスリンクへ行きます。練習時間が早く間に合わない日は、学校に許可をもらって早退させてもらっています。オフは平日に1日だけで、土日を含みほぼ毎日練習があります。氷上練習が約2時間、それ以外に陸上トレーニングが1時間〜2時間日によって入ってくるので、毎日3時間〜4時間はリンクにいて何かしら練習しています。

それとは別に、オフの日と学校のない土日は、自宅のトレーニング室で1時間ほど陸上トレーニングをします。(自宅と言っても、日本でいうマンションに住んでいるのですが、カナダではジムや屋内プールなどが付属しているのは珍しくありません)

あとは、できる限りのストレッチは時間を見つけてやりますし、学校が休みになったりするとピラティスの個人レッスンなどを受けたりしています。

自宅にいる時間はあまりないのですが、在宅時はお気に入りのスケーターの動画や研究のためにスケート動画を見たりしています。

また、我が家は日本語しかできない(私は義務教育と高校の授業でやったきり、息子は皆無に近い)状態でカナダにやってきたので、英語・フランス語に加えて算数の勉強や読書を習慣づけています。

え?こんなにこなしているの?と思われたでしょうか?
実は、息子がこのような生活ができるようになったのはここ半年くらいです。最初はこのような感じとは全く違っていました。

幼稚園時代、周りと合わない、発達障害ではと言われる

大阪から奈良へ引っ越した理由

彼は大阪で生まれました。しかし、学区内の小学校が、数年前の当時でも1学年8クラスほどある超マンモス校で、彼の性格ではやっていけないのでは?と感じた私たちは、引っ越しを考えます。

ただ移動するだけでは義実家に反対されると思い、国立の受験を思い立ちます。ただ、そこで塾に行かせるなどの対策はしませんでした。先のことは落ちたら考えたらいいし、縁があれば受かるだろうと思っていました。

そして、ご縁をいただき私の思惑通り奈良へ無事に引っ越すことができました。

幼稚園では隠れ問題児?ギフテッド?

3歳で年少クラスに入った彼は、とても大変な苦労をしました。というのも、周りに合わせられない、周りの子と合わない、先生と合わないなど、楽しくない日々を過ごしました。

ある時、担任の先生から「発達障害ではありませんか?そういう施設があるので相談に行かれてみてはいかがでしょうか?」と言われました。そして「行きません」と即答しました。

彼にはギフテッド?と思わせるような点がいくつかありました。

  • 登園初日でほとんどの子どものフルネームを覚えてくる(先生が口頭で出席をとるのに一度呼んだだけ)
  • 一度見た国旗と国名を全て覚えている
  • 一度見た力士の四股名と顔を覚えている 

など、記憶に対する能力がずば抜けていました。検査をしたわけではないので、ギフテッドなのかどうかはわかりませんし、検査をする気も全く起きませんでした。

しかし、逆に特性あり?と思わせるような点もいくつかありました。

  • トミカを家の端から端まで、これでもかというほど綺麗に並べる
  • 集中時は他のことが見えなくなり、没頭時間も長い
  • じっとしていられない など

幼稚園では目立たないようにソワソワできるので、他の子の迷惑にはならず、トラブルにもならずに過ごせましたが、息子の行動や言動が不思議で先生たちをよく困らせたようです。しかも、それを彼は感じ取っていて、帰宅するたびに幼稚園で起こったことを私に何時間もかけて全て話していました。相当ストレスだったようです。おかげで、私は彼の幼稚園での生活がよくわかり不安になることはありませんでしたし、今日はどんな報告が聞けるんだろうと楽しみにすらしていました(笑)

発達障害の検査などを利用しなかったのは、私には必要がないかな、と思ったからです(必要なかたは利用されていいと思います)。私には、というところがポイントです。検査をしようがしまいが、彼は変わりません。変えられるなら、私の価値観だけです。しかし、私は一つも困っても悩んでもいませんでした。それに、知らない大人と会うことは彼にかなりのストレスをかけると思いました。それで、とりあえず今は必要ないな、と判断しました。必要になった時に行けばいいな、と。

奈良から岡山へまたもや引越し

5歳の時、彼はフィギュアスケートに出会います。きっかけは、消去法でした。というのも、私が何かしら運動をしてほしいと思い、最初は近くのサッカー教室へ行きしばらくは良かったのですが、試合形式のようなことをするようになると嫌に。続いて、同じ敷地内にあったテニススクールへ。こちらも同様、最初は良かったのですが、子供同士のラリーを試合形式でやるようになったら嫌に。そこで、人と直接戦わない、直接身体が触れ合わない運動…と考えた結果、なんとなくスケートに行き着きました。

何度か奈良から大阪のリンクに行き、彼はどんどん夢中になりました。本格的に習いたいと言い出したので、もうこれは引越しするしかないと思いました。奈良県にはアイスリンクがなかったのです。

大阪まで車で片道1時間半ほど必要でした。小学生になったり、毎日の練習になれば、これは私が持たないな、とすぐに思いました。そして、夫を残し、私と息子は岡山県へのスケート留学を実行に移しました。
周りには色々と言われましたが、迷いはほとんどありませんでした。途中で辞めることになっても、息子がやりたいと思ったことをやってもらいたい、と思いました。

また、せっかく受験で入った幼稚園でしたが、彼には合わなかったので、それも引越しを決意できた点になりました。

行き渋り、学校嫌い、勉強嫌い

小学校でまた受験

転園した先の幼稚園は、彼には合っていたようで、のびのび過ごせたように思います。私は、彼はスケートをやりに来たので近くの公立小学校に行くものだと思っていましたが、どこから聞いてきたのか、彼が突如受験がしたい、と言い出しました。まぁ、受けるだけならいいんじゃない、と受験。そして、合格。また国立小に通うことになりました。

しかし、コロナが始まり、皆さんもご存知のように普通の学校生活はしばらくは送れませんでした。入学式はクラスごと、保護者は一人しか入れず、最初の数ヶ月は全く学校がなく、始まったかと思ったら時差登校、行事やプールなどは全てなし、給食は黙食。ここで、学校に対し崩れた概念が備わってしまったように思います。もちろん、これは誰のせいでもありません。

一年生三学期頃から、行き渋りが始まりました。朝になると、「行かなきゃダメか…」「行く時間か…」など毎日言い出すようになり、毎日のように私が学校に送っていき、遅刻気味で何とか行けていました。

スケートは順調でした。楽しく、辞めたいということもなく、続けられていました。

しかし、一方で、仲の良い友達ができない、練習ばかりで遊べない、旅行などもなかなか行けない、その窮屈さを感じずにはいられなかったようです。これは、今だからわかったことで、当時は気がついていませんでした。スケートをしに来たんだから、そんなの当たり前じゃん、と思っていましたが、彼はまだ幼いこどもでした。私は自分の価値観にあてはめて、彼が子どもであることが見えていませんでした。

そして、スケートをしに来たのだから、勉強なんてできなくてもいいじゃん、とほったらかしにしてしまいました。彼には勉強する時間はないし、やりたがらないからいいのだ、と。それは間違っていました。そのせいで、彼は学校嫌い、勉強嫌いになってしまいました。

もちろん、本人の意思に反してガツガツやらせる必要はないと思いますが、基礎学力さえ彼にはついていませんでした。それゆえに、授業がつまらない・何をしたらいいかわからない、自分はどうせバカなんだ、と思うようになってしまいました。

彼を救ったカナダ留学

しかし、これは今だから言えることで、当時の私は彼の思いや苦しさに気がつけていませんでした。自分の好きなことができているのだからいいだろう、と思っていました。しかし、彼はどんどん元気をなくしていくように感じられました。

2021年夏、東京オリンピックを見ていた彼が「カナダに行きたい」と言い始めます。私たち二人、かなり色々な競技に齧り付いて見入っていました。そこで、おそらく彼は日本以外の場所があり、人がいるということを知ったのだと思います。
最初は、子どもの言うことなんて…と流していたのですが、秋になっても毎日のように言うので、何となく私もカナダに行く方法を調べ始めました。なぜ旅行ではなく、住むことを思ったのか、自分でもよくわかりません。しかし、調べていくうちに、私自身がワクワクしました。そして、オリンピックからおよそ一年後の2022年の夏にカナダへやってきました。

もちろん、最初は環境の変化についていけず色々と苦労がありました。一番は、彼がよく体調を崩しました。初年度は20日以上体調不良で小学校を欠席しました。しかし、それでも彼は一度も日本に帰りたいとは言いませんでした。彼は、カナダに来たことで自分の中にあったモヤモヤから救われたようでした。

不登校がカナダでも始まる

一年目は良かったのですが、二年目に不登校が始まりました。日本にいた時よりも、状況が悪くなったように感じました。

彼はケベック州にずっと住みたいので、私たちは永住権の取得をしなければなりません。そこで、フランス語が必須になってくるため、英語の公立からフランス語の公立に転校しました。この学校が、彼には全く合いませんでした。今まで行った中で最悪だったのだと思います。

また、レセプションクラスといって、フランス語が母国語や第一言語ではない子が通うクラスに入れられたのですが、たまたまアフリカ系だったり、親がフランス語ができたり、彼のように全く初めてですという子はなく、最初から周りのレベルが高く異次元でした。ここでも、彼は自分はやっぱり頭が悪いんだと思ってしまったのだと思います。さらに、一年目は三年生だったのに、二年目は学校の決まりで四年生を飛ばして五年生にいれられてしまいました。学校や教育委員会に直接何度も抗議をしましたが、私たちの要求は通りませんでした。

また、日本と違い、ケベックでは登校拒否は認められません。学校に行くことは義務となっているため、体調不良で休むと言っても嘘だと思われて、何度も連絡が来たりしていました。

彼はまた、だんだんと元気がなくなっていきました。

不登校が解決した要因は

私は、元気がなくなっていく彼にどうしてあげたら良いのかと、ずっと考えていました。親として、何ができるのか、いろいろと調べたり、試したりしました。しかし、あまり変わりません。そのうち自分が疲れて、私の体調が悪くなりました。そうなって初めて気がつきました。このまま死ぬのは嫌だな、息子のためじゃなく、自分のために生きよう!とふと思ったのです。

そして、そこからやりたいと思ったことをやってみようと、初めて語学の高額レッスンを受講することを決めました。これが最高に当たりとなり転機となりました。

私の恩師である言語学者でフランス語・英語コーチに、マインドセットが必要であることを学びました。そして、私が昔から英語ができるようになりたいと思ってはいたものの、参考書を買っては本棚に眠らせてそのままになっていたのはなぜなのかをじっくり教えていただきました。

つまり、私が変わらなければならなかったのです。彼は私の価値観で生活している、だから、私が変わらなければ彼を変えることはできない、とわかったのです。

振り返ってみると、私はワンオペで、やりたいこともできず、母親として頑張らなければならないと思い込み、自分の人生を諦め非常にくだらないつまらない人生を生きていました。どんどん笑顔が消え、口調がキツくなり、知らぬ間に子どもに当たってすらいた、と気がつきました。こんな私に育てられて、息子がまともに育つわけがありません。

私が変わっていくたびに、彼は元気を取り戻していきました。そして、不登校もいつの間にか解消されました。

勉強嫌いの理由、基礎学力爆上がりの理由

彼の勉強嫌いの理由は簡単でした。小さい頃からの勉強習慣がゼロで、基礎学力が全くなかったことです。そこで、とにかく基礎の基礎からやり直しました。そして、大事なことは、簡単なことを毎日ちょっとずつ行うことでした。それを数ヶ月続けた結果「勉強ができない子」から「基礎学力がつき、授業が苦にならない子」へと激変しました。もちろん、学校一の秀才レベルではありませんが、ゼロから平均以上への進化は爆上がりとしか思えないすごい変化です。

基礎学力と学習習慣がついたことで、授業や勉強への抵抗や拒否感がなくなりました。

こうして、今彼は、彼の夢であるショースケーターになることに没頭できるようになりました。

まとめ

たまたまなのですが、今思えば、息子がやりたいと思ったことを否定せずに、引越しに引越しを重ねてきた自分を褒めたいです(笑)ですが、母としてこうでなければならない!という思い込みで、息子を縛り付けて苦しませていたことは、本当に申し訳ないと思います。

でも、気がつき、行動できれば、まだまだ人はいつからでも変われます。

私も、息子も、いろいろありながら、やっと楽しく生きれる道を見つけられ、毎日充実した笑いの絶えない生活を送れるようになりました。

今までとは違った一歩を踏み出すことは、とても重要です。不安に思うかもしれませんが、それはまだ未知であるからなだけで、気のせいです。

この記事が誰かの一歩のきっかけになれば幸いです。

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